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The Prince and the Pauper (TV) 王子と乞食

イギリス映画 (2000)

アメリカを代表する作家マーク・トウェインの『王子と乞食』の映画化。『トム・ソーヤー』や『ハックルベリー・フィン』が数多く映画化されたのに対し、『王子と乞食』の映画化は少ない。この2000年公開のTV映画が、まともに映画化された最後の作品。それ以前には、1977年に映画化され、これは日本にも入って来た。王子と乞食がマーク・レスター、王子を助けるヘンドンがオリバー・リード、ヘンリー8世に至ってはチャールストン・ヘストンまで出演するオールスター・キャストだが、何といっても最悪なのはマーク・レスター。『オリバー!』(1968)で金的を射止め、翌年の『野にかける白い馬のように』、翌々年の『小さな目撃者』、最後を飾った1971年の『小さな恋のメロディ』までは良かった。しかし、1977年版の撮影時には、もう18歳。王子と乞食に登場するエドワード6世は、即位時9歳。これは、いくら何でもひど過ぎる。2000年版では、ジョナサン・ティミンズとロバート・ティミンズの双子のダブルキャストだが、2人は撮影時12歳なのでそれほど違和感はない。映画は、原作とかなり違っている。最大の違いは、①ハートフォード伯爵が邪悪の権化、②乞食と化した王子の苛酷な運命が9割カットされている、の2点。細かな点をあげればきりがない。しかし、原作を読み、映画を観ると、映画の方が一貫していて、原作よりも巧くまとまっている。その分、王様になったトムに主体性が欠け、操り人形のようになり、表情も乏しいが、それは、①のハートフォード伯爵が目立っているせい。ただ、この点に関しては、歴史的には、原作の方が間違っていて映画の方が正しい。ハートフォード伯爵は、王子が生まれて12日後に難産による後遺症のため死亡した母シーモアの兄(王子の伯父)なのだが、ヘンリー8世の死の直後、甥の摂政となって実権を振るおうとサマセット公爵に叙せさせ、9歳の王子を傀儡(かいらい)化した。映画は、その過程を、極端化して描いている。乞食になった王子のエピソードは、②の苛酷な分がなくなったため、マイルズ・ヘンドンとずっと一緒で、2人の仲の良さが強調されている。王子は機嫌のいいことが多いので、笑顔がよく見られる。最後に、エドワード6世について、もう少し触れておこう。エドワード6世は即位後わずか6年半、15歳で病死する。これに関し、間違いの権化ウイキペディアには、堂々と、「先天性梅毒により、幼い頃から病弱だった」と書かれている。これは、1888年に産科医のA.S.Currieが発表した論文の中で、ヘンリー8世が梅毒に罹っていたと誤推測したことに端を発する作り話で、1931年には既に虚偽であるとみなされていた。父のヘンリー8世が梅毒でない以上、その子供のエドワード6世が先天性梅毒になるはずがない〔母シーモアは、結婚まで貞淑を守った〕。2012年の「A Journal of Medical Humanities(メディカル・ヒューマニティー誌)」によれば、エドワード6世は4歳の時に四日熱(マラリア)に罹ったのを別にすれば、1552年4月(死亡の1年3ヶ月前)までは健康だった。その年4月、王は、はしか、もしくは、天然痘と思われる病気に罹り、6月には全快する。問題は、翌1553年1月に起こり、高熱、進行性衰弱、息切れを症状とする病気に罹り、緑黄色や黒色の血痰を伴う慢性の咳に苦しめられる。両脚は腫れ、仰向けにしか寝られなくなり、どんどん症状が悪化して7月に死亡する。検死によれば、肺に2つの「化膿した潰瘍」があり、当時の医師は、それを肺結核によるものと診断した。今日的見解では、王が、その前に罹った麻疹(はしか)により免疫力が落ちていたため、その後に罹った肺炎が悪化して肺膿瘍を起こし、さらにそれが、敗血症と腎不全につながったと推測されている。右の絵は、エドワード6世。

時代は16世紀前半。テューダー朝で最もカリスマ的なヘンリー8世の唯一の跡継ぎとして生まれたエドワードが、偶然から、貧民窟で生まれたトムと遊び心で入れ替わる。ところが、一旦宮殿を出たエドワードは戻れなくなり、たまたま知り合ったマイルズ・ヘンドンという放浪癖のある田舎貴族の嫡男と冒険の旅に出ざるを得なくなる。一方、宮殿に残ったトムは最初気が狂ったとみなされるが、慣れる間もなく王が死亡、偽者だと見抜いた伯父(摂政)により傀儡化されかかる。結局、エドワードは、マイルズの手助けで無事戴冠式に間に合う(あらすじが すごく長いので、ごく簡単にした)。なお、原作との対比や、歴史的解説は茶色字で示した。

エドワード王子を演じるジョナサン・ティミンズ(Jonathan Timmins)と、乞食のトムを演じるロバート・ティミンズ(Robert Timmins)は双子児。1987年9月27日生まれで、撮影時は12歳。2人とも、如何にもイギリス的な美少年。王子役のジョナサンの方が、乞食として苦労するので、演技が多彩。ジョナサンのその後は、TVシリーズの『リンリー警部』のSE1,EP2(2002)に1回だけ登場し(下の写真・左)、既に紹介したように『ウィンブルドン』(2004)でボールボーイとしてチラと顔を見せる。ロバートの方がTV出演は多く、『Oscar Charlie』(2001)の5話に登場している(下の写真・右)。2枚の写真を比べると、2人の顔の特徴(若干の違い)が、よく現われている。


あらすじ

1535年、ロンドンで2人の赤ちゃんが生まれた〔正しくは、1537年10月12日。ヘンリー8世の死とエドワード6世の即位の年はイギリス史上有名なので、9歳(即位時のエドワードの年齢)と12歳(俳優の年齢)の差を埋めるため、生年を前倒しした〕。ロンドンの貧民窟では、トマス(略称トム)という家計を圧迫する邪魔な子が(1枚目の写真)、ハンプトン・コート宮殿では、エドワードという未来の王が(2枚目の写真)誕生した。賭け事に熱中していたトムの父ジョン・カンティは、部屋に戻ってくると、「そいつを、黙らせろ」と怒鳴る。カンティ家は、原作によれば、壊れそうな古く汚い家の3階の1室に住んでいた。一方の宮殿では、ヘンリー8世は男児を嘱望していた。最初の妃との間には、未来のメアリー1世(在位:1553年7月19日~1558年11月17日)が生まれ、2人目の妃との間には、未来のエリザベス1世(1558年11月17日~1603年3月24日)が生まれていたが、男児ではなかった。3人目の妃がジェーン・シーモア。ヘンリー8世は、エドワードを抱きながら、「でかしたぞ、ジェーン」と褒め、男児の出産を心から喜ぶ。ヘンリー8世は、ジェーンの兄ロバートに「皆に、知らしめよ。エドワード、皇太子、未来の王が誕生したと」、と命じる。ロバートは、この時点でビーチャム子爵。エドワード6世の誕生後の洗礼の日にハートフォード伯爵に昇格する。
  
  

「12年後」と表示される〔前節で述べた理由で12年にしてある。1547年にあたる〕。トムは、友達と木の剣で戦って遊んでいる。もとより正しい剣術ではなく、ただ剣を叩きあって遊んでいるだけ〔伏線〕。トム:「降参します、と言えよ」(1枚目の写真)。「言うもんか、この暴君め」。「ダニエル・ハンター、跪(ひざまず)いて命乞いだ。さもないと、爵位を剥奪するぞ」。原作では、トムが一種の宮廷を組織したことになっているが、映画では、ただの王様ごっこ。だから、ダニエルは、「陛下、失言をお許し下さい」と言った後で、「まさかな… お前は結局、乞食のトム・カンティなんだ」と言って、また戦い始める。その時、テムズ川の方からファンファーレの音が聞こえる。2人は、「何だろう?」と見に行く。トムがそこで見たものは、ロンドン橋の下をくぐり抜けて出て来た赤い舟。漕ぎ手の6人は真っ赤な制服を着ている。ダニエル:「王様だな。王子様もいる」。トムは「すごいな」と感激する(2枚目の写真)。舟に乗っているヘンリー8世と、エドワード王子がクローズアップされる(3枚目の写真)。舟のシーンは、原作にはない。
  
  
  

ヘンリー8世は、「水は、余の脚を痛める。馬車を回せ」と文句を言う。ハートフォード伯爵は、「申し訳ございません」と謝った上で、「国務など、陛下の僕(しもべ)に代行を」と、自分の力の増長を図ろうとする(1枚目の写真)。舟は、トムとダニエルが立って見ている前を通過する(2枚目の写真、左の矢印はトム、右の矢印は王子)。トムたちの粗末な服を見た王子は、「伯父上。あの者たちを洗って、服を…」と言いかけるが、伯爵は、「殿下におかれては、ご身分を お忘れなく」と、そんなことは王子の考えることではないと示唆する。そうは言われても、王子はトムたちのことが不憫に思えてならない(3枚目の写真)。
  
  
  

舟に見とれていたトムは、いきなりつかまれ、後ろを向かされる(1枚目の写真)。そこにいたのは、悪人中の悪人・父のジョン。「乞食もせんと… 帰ったら覚悟しとけ」と頭を殴る。「忘れてた。許して」。ジョンは、トムを連れて「仕事」に向かう。言った先は、火炙りの刑が執行される広場。見物人でごった返している。「ヘンリー8世陛下の ご命令により、悪魔に魂を売った罪で3名の女を火刑に処す」。トムは、群集の中にいた裕福そうな男に、物乞いをする。「お願いです、お恵みを」。しかし、男は「うるさい」と相手にもしない。トムは、再度、「お願いです」と言うが、その隙に、隣に位置したジョンは、男の腰紐に吊るした財布を〔金貨の入った袋〕をちぎり取る。男は、当然、盗られたことに気付き、「おい何だ! 返さんか!」と怒鳴る。ジョンは、「ほら、受け取りな」と言い、ナイフを腹に刺す。男は、地面に倒れ、「助けて! 刺された!」と苦しむ(2枚目の写真)。それを見たトムは、父を、「ひどい」と責める。一方、ジョンは、横にいた男を犯人に仕立てあげようと、「こいつだ!」と叫び、男の手に血のついたナイフを押し付ける。刑の執行に当っていた役人が、すぐに「犯人」を捕まえる。男は、「俺のナイフじゃない」と言うが、「証人は、いるのか?」と訊かれても答えられない。役人は、「こ奴の首が掛かっておる。誰か、見た者は?」と群集に問いかける。トムは、「僕…」と言いかけ、ジョンに口を押さえられる。その時、3人の火刑者の薪に火が点けられ、絶叫があがる。ジョンがそれに気を取られた隙に、トムは素早く逃げ出す。走って部屋に戻ったトムに、母は、「どこに行ってたの?」と訊く。「僕、全然やってない」。母は、言葉の違いを教える。「何も、よ。『僕、何も やってない』でしょ」。トムの様子がおかしい。母が、「どうしたの?」と訊くと、トムは母に抱きつく(3枚目の写真)。
  
  
  

しかし、すぐに、ドアが激しくノックされる。「ドアに鍵かけおって!」と、ジョンが外で怒鳴る。母は、トムを隣の部屋〔カーテン1枚で隣の家族の部屋〕に逃がす。ドアを押し破ったジョンが、「チビ助は どこだ?」と訊くと、トムを守るつもりの母は、「話すと思うの?」と、答えるのを拒否。ジョンは、母を思いきり殴る。トムは、部屋から逃げ出し、ジョンが後を追う〔ジョンがこれほど必死なのは、トムが自白したら、自分が絞首刑になるから〕。トムは、王宮に向かって逃げる。先ほどのヘンリー8世と王子を乗せた馬車が、城門をくぐって中に入るところだった。馬車が通り過ぎると、すぐに城門の格子扉が下りる。トムは、群集の整理に気を取られた番兵に悟られず、地面を這うように進み、格子扉の下から城内に入り込む(1枚目の写真、矢印で這いつくばっているのがトム)。格子扉は、トムの背後で閉ざされた(2枚目の写真)。幸い誰もトムの侵入には気付かない。伯爵は、「陛下の おみ足が悪化した。直ちに、お休みになられる」と命じる。トムは、城門の脇の物陰に隠れたが、王子はそれを目ざとく見つける。そして、「そなたなのか?」と声をかける(3枚目の写真)。王子は、舟の中から見たトムの顔を覚えていた。
  
  
  

王子は、「まず、お辞儀をするのだ。それが、敬意を表わす作法なのだから」と優しく教える。トム:「お許し下さい。私は、礼を失しておりました」。王子は、「そなたは、上品に話すな」と褒め、「空腹であろう?」と親切に訊く(1枚目の写真)。トムは、まず、最初の言葉に対し、「母が、話し方を教えてくれました、殿下」と説明し(2枚目の写真)、「神父様が、時々、ラテン語を。それに、私は、空腹ではございません」と、後の質問にも答える。王子は、「ひもじそうに見えるぞ。食事を用意させよう」と言い出す。「失礼ですが、結構です」。「来るのだ」。こうなっては、付いて行かざるを得ない。王子は、誰にも会わずに済む通路を進み、トムを自分の部屋に連れて行く。そこは、広々とした部屋だった。「ところで、そなたの名は?」。「トム・カンティと申します。トマスです」。「どこに、住んでおるのか?」。「プディング・レーン〔臓物横町〕のオッファル・コート〔屑肉小路〕です」。王子は、面白い地名を面白がる(3枚目の写真)。
  
  
  

「家族は、あるのか?」。「はい。母に、妹のナンとベット。祖母も…」。「父は?」。トムが答えを躊躇しているので、「どうなんだ?」と訊き直す(1枚目の写真)。殺人を犯した父を恥じているトムは、「父は、おりません」と答える(2枚目の写真)。「私には、母がおらぬ」。王子は、手に持っていたオレンジをトムに投げて寄こす。「食事の話をしよう。好きな食べ物は 何だ?」。「私は、これ〔オレンジ〕をいただきます」。王子は、すたすたと扉に歩み寄り、いきなり開けると、廊下に出る。そこには、王子の侍従と召使が控えていた。王子は、侍従に対し、「上等の料理を、たっぷり持って参れ」と命じる(3枚目の写真)。
  
  
  

部屋に戻った王子:「申せ、トム・カンティ。どう遊ぶ?」。「『遊ぶ』と申しますと?」。「遊びだ。どうやって遊ぶのだ?」。「そうですね、時々、河原で遊びます。木の杖や剣で戦うのです。本物の剣では ありませんが」。「どんな決まりで やるのだ?」。「河に突き落とすのです。とても、お話しできるようなことではありません、殿下」。王子は、「一度でいいから、誰にも咎められずに、河原で遊び回れたら…」と夢見る(1枚目の写真)。トムも、「私も、一度でも着ることが できましたら…」と言い出す(2枚目の写真)。「こういう、きれいな服をか?」。「お許し下さい。身の程を忘れておりました」。「謝る必要などない。望みを叶えよう」。「いけません」。「私は本気なのだ」。王子は、羽飾りの付いた帽子を脱ぎ、トムの汚い帽子を被る。服を着替えた2人は、鏡の前に立つ〔当然、下着までは替えていない〕。2人は、入れ替わったようには見えない。乞食の服を着た王子は、「こんなことが、あり得るか? そなたの眼、口、声までも、すべてが、私と同じではないか」と驚く(3枚目の写真)。「トム・カンティ、そなたは、王子になれる」と言い、ハンカチを渡して顔を拭かせる。王子は、ストーブから炭の粉を取ってきて顔を汚す。普通に考えると、当時の乞食の子供は体など洗ったことがないので、臭くて服の交換などする気になれないハズだ。しかし、原作には、「彼は自分のみすぼらしい服や不潔さを嘆き…」「テムズ川で…泳ぎまわるうち…川が身体を洗い清潔にするに役立つという価値も併せて発見した」という記述があるので、辻褄合わせはできている。
  
  
  

王子は、いきなり、「この機会を楽しむのだ。食べておれ。私が戻るまで」と言うと、裏口の扉を開け、正面の扉に向かって、「入れ」と呼びかける(1枚目の写真)。突然の王子の行動に驚いたトムは、さらに、正面扉が開き、侍従と共に、豪華な料理が山のように運ばれて来るのを見て呆然とする(2枚目の写真)。「これは、宴会ですか?」。「殿下が、『上等の料理を たっぷり』 と命じられたのですよ」。「これ全部、私が?」(3枚目の写真、矢印はトム)。「ご不満でも、殿下?」。「とんでもない。これで…」。「充分なのですね?」。「実に、たっぷり」。この、王子の部屋でのシーンは、前半は原作をほぼ踏襲している。2人が服を交換するという突飛な事態に至るまでの経緯なので、あまり変えようがないからであろう。原作と違うのは、服を取り替えた後。原作では、トムが門番から受けた傷を見て、王子は、「余が戻るまで一歩も動いてはならぬ」と命令し、テーブルの上に置いてあった玉璽(ぎょくじ)をある場所に隠すと、門番に文句を言いに行き帰らぬ人となる。映画のように、食事を大盤振る舞いするようなこともない(玉璽には触りもしない)。この次の節で出て来るが、王子は、門番に文句を言いに行くのではなく、城の外に抜け出して遊びに行く。この方が、「一度でいいから、誰にも咎められずに、河原で遊び回れたら…」という願望(原作では、「ただの一度でも、泥の中で思う存分に楽しむことができたら」と言う)に、よりマッチしている。
  
  
  

王子は、厨房を抜け、厨房の通用門から外に出る(城門のすぐ脇にある)。王子は城門の前に立つと、これから味わうだろう人生初の自由な体験を思って心が踊る(1枚目の写真)。城門から見える中世風の町並みは、ハンガリーのブダペストでの撮影だ。王子は、路上の物売りを珍しそうに見る。一方、残されたトムは、「殿下、お召し上がりを」と言われても、長いテーブルのどこに座ったらいいかも分からない。トムが、たくさんあるイスの前を所在なげに移動していると、侍従から「座って いただけますか?」と言われ、近くのイスに座る。大皿に手を伸ばすと、召使が皿を取り上げ、小皿に取り分けようとする。金のナイフを手にしたトムは、考えた末(2枚目の写真)、「私は、一人で食べたいのです。誰も、いないところで」と言い出し、毒見役を含めて全員を部屋から追い出す。そして、気ままに手づかみで食べ始める。王子の方は、待望の河原に行く。そこでは、ダニエルたちが木の剣で遊んでいた。王子は、それを見ると、顔にさらに泥を塗り、落ちていた木の棒を拾うと、「皆の者、私も入れてくれぬか」と声をかける(3枚目の写真)。「棒遊びがしたくて参ったのだ」。しかし、顔はトムでも、話し方がまるで違う。ダニエルは、「トム? 大丈夫か?」と心配する。「私は、幸せだ…」。「お前の親爺が捜してたぞ、トム」。これは、先ほどの、「父は、おりません」という返事と違うので、「私に、父はおらぬぞ」と言ってしまう。これを聞いた遊び友達は、A:「頭が変になったんだ」。B:「ジョン・カンティに、ひどく ぶたれたからな」。最後にダニエルが、「トム、忠告だぞ。嘘を付いとけ。人が死んでるんだ。知らんぷりしろよ。監禁されちまうぞ」と言い、王子が、「そなた、友を見放すのか?」と言っても、「家の手伝いがあるから」と弁解し、立ち去ってしまう。この部分、すべて映画の創作。
  
  
  

トムは、食事作法の練習まではしていなかったので、テーブル上で食べ散らかす。そして、かなりの量を残して 食べられなくなる。皿に残った豚のローストは、これまで屑肉しか食べたことのなかったトムにとっては手放すのが惜しくてたまらない。そこで、どこかに取っておこうとテーブルの脇にあった立派な箱の蓋を開ける。中には、クルミを割るのにぴったりのもの(玉璽)が入っていた。そこで、それを取り出し(1枚目の写真、矢印は玉璽)、代わりに、残ったブタ肉を皿から中にあける。王子は、路上の物売りに戻り、おしそうなリンゴが売られていたので、「りんごは、幾らかな?」と尋ねる。売り子のおばさんは、相手が乞食のような姿なので、わざと丁寧に、「今日は、お客様。お金は、お持ちで?」と訊く。「今は持ち合わせがない。明日、倍額払おう」。おばさんは、期待通りの見立てで、しかも、タダでくすねようとしていると思い、まず、「2つ どうぞ」と言う。「ありがとう。私は、見た目と違い乞食ではないのだ」。そう王子が言って、リンゴを取ろうと手を伸ばすと、おばさんはその手を叩く。「何で、お前なんかに。初めから、盗むつもりなんだろ」(2枚目の写真)。トムのもとには、侍従が食事を引きにくる。あまり食べてなく、それ以上食べる様子もないので、「殿下、本当に、空腹でいらしたので?」と尋ねる。「ええ。それに、王子に相応しい食事でした」。侍従は、トムの横に置かれた玉璽を見つけ、「英国の玉璽は戻しておかれませんと」と言って箱に戻そうとする。しかし、トムは、「いいえ、私に渡して… 割るものがないと」と侍従の手から玉璽を取り戻す。侍従は、冗談だと思い、「クルミを? 何と、ご酔狂な…」と笑いながら部屋を出て行く。1人になったトムは、本当に玉璽でクルミを割る(3枚目の写真)。原作では、この玉璽が、最終盤になって、「本物の王様」であることを確かめる証拠として使われ、王子しか知らない隠し場所に入っているのだが、映画では、誰でも取り出せる場所に堂々と置いてある。そして、トムが「玉璽でクルミを割る」のは、「本物の王様」から玉璽を何に使ったか尋ねられて答えた内容。映画では、原作のエピソードを、全く違う形で上手に活用している。
  
  
  

王子が、イタリア風の路上芝居を見ていると、先ほどのおばさんが、可哀相に思ってリンゴを1個渡してくれる。そして、冗談に「明日2倍払うって 忘れないでおくれ」と言う。「良きご夫人〔Good my lady〕、ありがとう。忘れまい」。「国教会の人みたいな言い方だね」。「実際、その通りなのだ」。トムは、ドアを開け、侍従に、「質問して、よろしいですか?」と声をかけ、「もし、王子が… つまり私が… 外に出て、歩き回りたいと望んだら… どのくらいなら、いいのですか?」と尋ねる。しかし、「殿下、新しい お戯れで?」と訊かれてしまい、自ら王子を捜しに行くことを断念する。外は、夕暮れが近づいている。しかし、未だに王子は戻って来ない。トムは心配でならない(1枚目の写真)。原作では、王子が出て行ってから誰にも会っていないので、もっと心配する。それは、見つかり次第、「王子の部屋に勝手に入り込んで、王子の服を盗んで着た乞食」として、問答模様で即座に絞首刑にされると思ったため。一方、王子は、汚い水路の脇に腰を降ろし、カエルを獲るのに専念していた(2枚目の写真)。1匹獲って見ていると、後ろをすり抜けていった剣士が、乞食を不憫に思い、トムの帽子に小銭を投げ入れる(3枚目の写真、矢印は小銭)。王子は、「悪いが、私は乞食ではない」と言うが、男はそのまま行ってしまう〔この男こそ、マイルズ・ヘンドン〕原作には、王子がリンゴを買おうとする場面も、カエルを獲る場面もない。
  
  
  

王子は、暗くなったので、そろそろ戻ろうと思い、城門まで行く。門番は、下っぱ過ぎて王子様の顔などじっくり見たことがないので、乞食が近づいたと思い、「近寄るでない!」と誰何(すいか)する。「そちが、誰何するのは当然だ。それが、役目だからな」(1枚目の写真)。「殴られる前に、とっとと立ち去れ」。「通せ。私は皇太子だ」。門番は、おどけて、「おお、これは失礼致しました、殿下…」と謝ったフリをし、王子が近寄ると、「失せろ、ガラクタ!」と押し倒す。原作では、王子は、トムの指にケガをさせた文句を言いに城門に行き、内側から「開けろ!」と命じて外に出る。一旦外に出た王子は、門番に殴られ蹴飛ばされる。「失せろ、ガラクタ〔Be off, thou crazy rubbish〕!」。王子は、さっき出て行った厨房の通用門に行くが、鉄格子に鍵がかかっていて入れない(2枚目の写真)。王子は、戻れなくなってしまう。映画の方が、「戻れなくなるまで」が長い。何度も言うが、そもそも服を着替えた背景には、「外で遊ぶ願望」があったので、この部分は、映画の脚本の方が優れていると思う。王子は、夜を過すためトムの家に向かう〔家族に会い宮殿に連れて行くよう命じるため〕。歩いていると、突然、2階から水をかぶせられる(3枚目の写真)。映画では水をかけられたように見えるだけだが、当時はもちろん上下水道などはないので、汚水(糞尿を含め)はすべて窓から投棄されていた。だから、かなり臭かったに違いない。
  
  
  

トムが、王子の部屋の珍しいものを見ていると、ドアが開き、侍従が「ジェーン・グレイ姫」と告げる。彼女は1537年10月生まれ(日は不詳)。エドワードが1537年10月12日生まれなので、年齢はきわめて近い〔エドワード6世の病死は1553年7月6日だが、ジェーン・グレイはその4日後の7月10日に即位し、9日後に廃位。7ヶ月後に大逆罪で絞首刑にされるので2人とも生涯は短い〕。ジェーンと2人だけになったトムは、しばらく会話を交わした後、「何か、召しあがりませんか?」と尋ねる。「ありがとう。結構です」。「遠慮なさらず… 上等の豚肉が あなたの後ろの金の箱の中に」。あまりの奇妙な申し出に驚いたジェーンが玉璽の箱を覗くと、本当に豚肉が入っている。「お従弟君、大丈夫ですか?」。ここで、トムは、両膝をつき、「あぁ、お嬢様、これ以上、隠してはおれません」と言い出す。「殿下!」(1枚目の写真)。「私は、従弟ではありません。王子でも」。「エドワード!」。「私達、同じでした。本当です。眼も、鼻も、すべてが… 鏡を見たら、そこに、王子になった私が… どうか、お許し下さい。私は、トム・カンティ。乞食の子でオッファル・コートの出身です」。ジェーンは、ドアを内側から叩き、「王子様が、ご不調です!」と知らせる。原作では、豚肉の話はないが、あとはほぼ同じ。トムが両膝をつくところも同じだが、逆に、1882年に出版された時の挿絵では、宮廷の慣行に反するとしてわざわざ片膝に訂正してある。トムは、慣行など知るハズもないので、原作が正しいが、映画も原作に習っている。王子が「狂った」という噂はすぐに広まり、直ちに緘口令が敷かれ、次いでトム本人がヘンリー8世の前に呼び出される。王は、「この遊びは、何なのだ?」と訊く。トムは、ここでも両膝をつき〔こちらは、挿絵も両膝〕、城門から王子の部屋までの話を、脈絡なく話す(2枚目の写真)。そして、「どうか、首を刎ねないで下さい」と懇願する。王が、名前、血筋、肩書を尋ねると、「トム・カンティです。ジョン・カンティの子で、乞食です」と答える(3枚目の写真)。そのあと、王子の教師が簡単なラテン語で訊くと、親切な神父に読み書きとともに、簡単なラテン語を教えてもらっていたトムは、何とか答える。王は、喜び、「王子は、一時の病に過ぎぬ」と断定し、「休養すれば、思い出すであろう」と今後の方針も決める。人払いをした後で、王は、トムを近くに寄らせ、「一つだけ理解しておくのだ。この種の妄執は、束の間といえど、そなたに対抗する者を利する事になる。じきに、そなたの世となる。全英国が、そなたの肩に掛るのだ。決して、余の息子でないなどと、言うな!」と申しつけ(4枚目の写真)、妄言を言わぬと誓わせる〔ヘンリー8世は、エドワードに跡を継がせるため、先に生まれたメアリー王女やエリザベス王女を庶子の身分に落とし、王位継承権を奪っていた〕
  
  
  
  

トムの家の近くにある酒場に入った王子は、全員に向かって、「済まぬが、カンティの家を、教えてくれぬか?」と声をかける。酒を飲みにきていたトムの父は、立ち上がると、「やっと来やがって、覚悟はできてるな? 覚えとけ… 首がかかっとるんだ。お前か、俺のな」と脅すように言う。王子は、「そちが、ジョン・カンティか?」と訊く。「何を、ほざいてやがる」。「なぜ、トムが、『父は、おりません』と申したか、分かった」。「お前を、ぶん殴ったからだろ」。「私は、そちの息子ではない。皇太子だ。服は、彼の物だが」(1枚目の写真)。「なら、思い出させてやる!」。笑い声が上がる。そこに、トムの母が娘2人を連れてトムを探しに現われ、王子を殴ろうとする夫を止める。「あたしの子に、手を出すんじゃないよ!」。そして、王子を連れて出ようとすると、王子は、「私は、トム・カンティではない。皇太子だ」と主張する。母は夫に、「あんた、この子に何したの?」と怒り、下の妹は「本気じゃないよね?」、上の妹は「トム、あたしを覚えてる? 妹のナンよ」と心配する。王子は、ますます大きな声で、「父、ヘンリー王の名において、聞くがよい。宮廷に行って、真の息子を取り戻すのだ」と言い、それを聞いた母は卒倒する。王子は逃げ出し、離れたテーブルに乗るが、そこには たまたまマイルズが座っていた。マイルズは、父を始めとする不穏な連中に、「なぁ、友よ… こんな子供が何をしようと構うのはやめて、ビールでも飲もう。奢らせてくれ」と 仲裁に入る。トムの父は、自分の殺人を見られているので、そんなに簡単にはあきらめられない。「このガキは、親爺に背いとる。理由なんか関係ねぇ。親爺こそ王様だと、叩き込む」と凄む。マイルズが父の前にすくっと立ちはだかると、父はナイフで切りつける。しかし、相手は剣の達人なので、商人のようにはいかない。ナイフは簡単に跳ね飛ばされ、王子の足元に跳んできてテーブルに刺さる。剣を抜いたマイルズと、ナイフを得た王子は、父や、その仲間のワルどもと戦う。2人はいいコンビだ。父が、長い木の棒でマイルズに襲い掛かった時は、勢いに負けそうになったマイルズの剣を王子のナイフが支える(2枚目の写真、矢印は、見えにくいが王子のナイフの先端、木の棒、剣、ナイフの三層構造になっている)。危機を脱したマイルズは、王子を連れて2階へ上がり、荷物の搬入口から出て(3枚目の写真)、滑車につかまって下にあった荷馬車に飛び降りる。こうして、王子はトムの父から逃げることができた。原作では、マイルズとの出会い、トムの父との関係のすべてが映画と違っている。ただ、両方を比べると、ここも映画の脚本の方に軍配を上げたい。
  
  
  

翌朝、伯父のハートフォード伯爵がトムの天蓋付きベッドの幕を開け、「殿下」と呼びかける。そして、「ご自分のことを、思い出されましたか?」と訊き、「王様の息子です」(1枚目の写真)という返事を聞いてがっかりする。伯爵の後に控えていた侍従と6名の「朝のお世話係り」も同様にがっかりする。侍従は、「第一歩です、殿下。徐々に、思い出されますでしょう」と言い(2枚目の写真)、1番目の係りがガウンを持って待ち構える。王子は、それをまとわず、受け取って手元に置く。「殿下、顔を洗われますか?」。「まだ、服を着ていません」。「ガウンがございます」。「そんな格好で外に出て いいのですか?」〔当時、水道は各戸にないので、屋外の給水栓や井戸まで汲みにいく必要があった〕。「外へですか?」。「給水栓まで…」(3枚目の写真)。2番目の係が、水の入った洗面器を持ち、「殿下、水を お持ちしました」と言う。石鹸もクロスも用意されている。原作には、朝の場面は一切ない。映画の創作だが、トムの戸惑いが良く分かり、結構よくできている。
  
  
  

一方、王子は、マイルズと一緒に、安宿に泊まっている。優しいマイルズは、1つしかないベッドに王子を寝かせ、自分は、ベッド脇の木の床の上に寝ている。朝、目が覚めた王子は、マイルズを見下ろす(1枚目の写真)。その表情には、乞食になったのは悪夢ではなく現実だったという「がっかり感」と、マイルズが自分を王子として扱ってくれているという「ほっと感」が混じっている。マイルズは、「ぐっすり、眠ってたな」と声をかけ、王子は、「このベッド、乞食でも辛いであろう」と言う。マイルズは、「床に寝るより、柔らかいだろ?」と反論し、「君の親爺さんから出来るだけ離れないとな」と付け加える。「あれは、私の父ではない」。「あぁ、忘れておりました、あなたはノーフォーク公でしたな」〔マイルズは、王子を『可哀相なキ気違い』扱いしている/ノーフォーク公爵は1546年にロンドン塔に幽閉され、1553年に釈放・復権、翌1554年死去。だから、この時点では幽閉中。王子は、それ以上の追及はあきらめ、「何者だ?」と訊く。「マイルズ・ヘンドンです。スペインから故郷に戻る途中で、幸せにも、あなたに お仕えできました。殿下」(2枚目の写真)と言って、王子をベッドから引っ張り起こす〔マイルズは、王子に調子を合わせている〕。「私を助けてくれた」。「いいえ、あなたが、私を助けたのです。あなたは剣の達人だ。見事でした」。王子は、「ありがとう」と喜ぶ。そして、自分の手を見る。「手を、洗わねば」(3枚目の写真)。「止め立て しませんよ」。この映画のよくできているところは、このシーンの前にトムの朝のシーンが入れてあり、王子の要求の意味がよく分かる点。原作では、トムの朝のシーンがなく、いきなり王子の朝のシーンになり、王子が、「私は顔を洗いたいのだ」と言い、マイルズを召使のように扱う。
  
  
  

ここで、場面は、先ほどのトムの朝の続きに戻る。トムは、洗面器に入ったきれいな水で顔を洗い、手にはめた刺繍付きのクロスで顔をこする(1枚目の写真)。それが済むと、3番目の係がきれいな布で、トムの顔についた水をそっと拭き取る(2枚目の写真)。王子は、こうしたことを求めていたことが分かる。4番目の係が香油の入った盆を差し出す。何のことか分からないトムは、飲物だと思って指につけて舐めてしまう。「殿下、それは、手や顔に…」。「香油? 香りと味は別ですね」。ここで、王子に戻る。マイルズ:「あなたは、私と一緒に、父の屋敷まで来ていただきます。安全で、食事もできますし、好きに振舞えます」。王子は水を捜すが、部屋のどこにも水がない。「私には、洗い水が必要だ」(3枚目の写真)。「給水栓は外です」。「外に?」。マイルズは、「給水栓が、室内にあるとでも?」と言って、靴を履こうとイスに座る。それを見た王子は、「そちは、許可なくして座るのか?」と咎める。この規則〔皇太子の前で座ってはならない〕が歴史的に正しいかどうか、短時間では調べがつかなかった〔現在では、女王が座るまでは立っていなくてならないが、皇太子についての記述は見つからなかった〕。マイルズには、意味が分からない。そこで、「許可?」と訊き、「私と一緒の時は、好きな時に座っていいんですよ」と、王子が求めたのとは逆の受け取り方をする。マイルズは、さらに、王子を哀れみ、「許しがないと座れないと、考えるなんて」と、王子の育った環境を哀れむ。王子は、「私ではない、そちだ」と反論するが、マイルズの誤解は解けない。そして、そのまま、自分の家に連れて行くことにする。原作では、王子は、マイルズを立たせたまま食事の給仕までさせ、マイルズのこれまでの流浪の旅を尋ね、最後に、「王の面前でも座ってよい」という特権を獲得する〔原作では、この時点でヘンリー8世は崩御し、エドワードは王になっている〕
  
  
  

王子は、マイルズの馬に相乗りし、ロンドンからヘンドン邸のある田舎に向かう。マイルズは、「館に戻れば、祝宴が待っています。セーラも待ち望んで…」と話し、王子は、「セーラ? それは誰だ?」と訊く。「夜空を見上げた時に瞬く星、それが、我がセーラです。スペインでの修道の生活が、何週間、何ヶ月、何年と続いても、彼女への想いは いつも心に… 旅に出る前に、厳粛な約束を交わしましたから… 『ある事』を成し遂げるまで戻らないと」。「『ある事』?」。「ロンドンでウィピング・ボーイを探し出し、お仕えする事」〔ウィピング・ボーイは、王子の身代わりに鞭打ちされる少年〕。2人は、冗談を交わせるほど息が合っている。原作では、王子とマイルズはすぐに別れ別れになるが、映画では、原作の多くの逸話を、1つを残してすべてカットしている。最初に着いた村で、マイルズはパンを買ってきてテーブルに座っている王子の前に「さぁ、どうぞ」と置く。「ありがとう」。「これも買いました。上等じゃないが新しい。もうしばらくの辛抱です」と、シャツを渡す。「感謝する」。その態度に、マイルズは、「あなたは、絶妙な物腰を持っておいでだ」と言い、王子も「そちの態度も、立派で雅量がある」と応える。マイルズは王子の向かいに座る。王子は、「はっきりさせねば。私は、エドワード皇太子だ。いつの日か王になる。そちの功労は報われるであろう」と話す。「期待しています」。「そちは、私を信じるか?」。「もちろんです」。「以前そちは、わが面前で許可なく座り、それを鼻であしらった。その時は、知らなかったで済んだし、私も不問にふした」。「つまり、今は、承諾を得るべきだと?」。「もちろんであろう。未来の国王と、同席しておるのだから」(1枚目の写真)。マイルズは、芝居をするなら徹底的にしなければと思い、「これは失態をしました」と言うと、帽子を脱ぎながら立ち上がり、「ご照覧下さい」と言って、その場に跪く(2枚目の写真)。「失礼の段、ご容赦願います、殿下」。「認めよう。座ってよい」。「感謝します」。2人は再び馬で先へと進む。王子:「いつ ウェストミンスターに戻れるかな? そちも、一緒に参って、褒美を?」。「はい。できますれば。ナイトに」。「問題なかろう」。「いいえ、その代わり『特権〔royal dispensation〕』を頂ければと」。「続けよ」(3枚目の写真)。「『国王の面前で、許可なく座る事ができる』という特権です」〔国王と言うのは、まだ早すぎる〕。「認められるであろう」。
  
  
  

原作では、ヘンリー8世は既に崩御しているので、トムが王子として悪戯をするような場面は全くないが、映画では、トムはすぐに遊び始める。朝の世話をしてくれた侍従と召使をいつまでも放さず、いろいろな服を試し、最後は、中世風の甲冑を身を付け(1枚目の写真)、「これは素晴らしい」と ご満悦。「殿下、私は食事を… 召使い達も、拘束を解いてやって休みを取らせませんと」。トムは、「誰か、剣術の相手を寄こすように。遊び相手の少年を… 選定基準は… あまり上手すぎないこと」と命じる(2枚目の写真)。連れて来られたのは、台所の少年。剣など一度も持ったことのない少年だ。トムは、ダニエル・ハンターと木の剣で遊んでいたようなことがしたいだけだ。2人は、すぐに剣術ごっこで遊び始める。しかし、それをこっそり見ていた人物がいた(3枚目の写真、矢印はトム)。ハートフォード伯爵だ。王子が気が狂っておかしなことを言うのに対しては何とも思わなかったが、鍛えられた剣術まで忘れてぶざまな剣さばきをするのを見て、不審の念を抱く。この原作にないシーンは、王子がいなくなった翌日だというのに、王子のことなど忘れたように遊んでいるのは、不自然な感じがする。恐らく、原作とは全く違うハートフォード伯爵への道を開くため、ここで「疑惑の芽」を植え付けたかったのであろう。
  
  
  

マイルズと王子は、聖ベネディクト派の修道院に着く。そこには、旧知のラビット神父がいて 歓迎してくれるはずだった。しかし、中には誰もおらず、建物は荒れ放題になっていた(1枚目の写真)。「英国では、いったい何が?」。「王には選択の余地がない。修道院は富み、貪欲で肥えた者しかおらぬ」。「そうか? ヘンリー王は富んでいないのか? 貪欲で肥えていないのか?」。王子には返す言葉がない。一方、トムは侍従と一緒に城門まで行く。そして、「出てみたいな… 外に」と言う。城門はすぐに開けられた。その時、後ろから伯爵が近づき、一方、門の外では騒ぎが起きている。「あれは、何でしょう?」。伯爵:「つまらぬものです。殺人犯が刑場に…」。王子は思わず「No」と言ってしまい、「I mean… I would know…(つまり… 興味が…)」と、「ノウ」の意味を“no”から“know”に変える。「もっと知りたいのです。どうやって殺人を?」。トムは、事件の調査は王の命令がないとできないのに、伯爵を押し切って調査を命じる。調査のためには、刑場まで出向く必要がある。絞首刑にされようとしていた人物は、トムの父が殺人の罪をなすりつけた男だった。トムは、何とか救おうとする。「話を聞きたい。連れてきて下さい」。男は、トムに、「殿下、無実の人間に、どうかご慈悲を」と頼み、いかに罪を押し付けられたかを話し、「どんな男か、説明できるか?」と訊かれ、「はい殿下、できます。牢獄で名前を聞きました。ジョン・カンティという泥棒です」と答える(2枚目の写真)。「一緒にいた少年が、見ていたに違いありません」とも。この件は、2人の人物に大きな影響を与える。1人は、刑を見に来ていたトムの父。自分の名前が出された上に、トムが捕まって白状されたら、絞首台は必至だ。トムを見つけ出して始末することが最優先事項となる。もう1人は伯爵。帰りの馬車の中で、伯爵は、「思い起こしますに… 思い出されたくないかもしれませんが… 殿下が ご乱心され、宮廷の行事や些細な事までお忘れになってしまわれていた時、何と、名乗られておられました?」とワザとらしく訊く。「忘れました」。「『トム』では ございませんか? トム… 何とやら?」。「そうかもしれません」(3枚目の写真)。伯爵は、ヘンリー8世の前で、トムが、「トム・カンティです。ジョン・カンティの子で、乞食です」と言ったのを覚えていた。先の下手な剣術で降って沸いた疑惑は、「ジョン・カンティ」の名が出たことで、確定する。ここにいるのは、王子ではなく、トム・カンティだ。原作では、このような疑惑は一切浮上しない。伯爵は最後まで、ただの善良な伯父に過ぎない。
  
  
  

マイルズは、ヘンドン屋敷の手前の村まで来た時、「神父様の事を、誰か知っているかも」と言い、馬の面倒を王子に任せ、訊きに行く(1枚目の写真)。王子が、馬のそばに座っていると、しばらくして、「ガキを、止めろ!」という叫び声が上がり、1人の少年が盗んだ子豚をかかえて逃げてくる(2枚目の写真、空色の矢印は少年、黄色の矢印は王子)。そして、王子の前までくると、「ほら、やるよ」と子豚を渡すと、逃げて行ってしまう。追って来た官吏は、王子が犯人だと思い込む。王子は、「私は盗んでおらぬ。他の少年だ。これは濡れ衣だ」と抗弁するが(3枚目の写真)、無視される。子豚を盗まれた太ったおばさんは、逃げ回る子豚を捕まえるのに必死だ。王子:「マイルズ? わが友、マイルズはどこだ?」。官吏:「言い逃れはきかん、来い!」。「助けて! 違うと言うに!」。
  
  
  

一方、トムは、ヘンリー8世の前に呼び出される。「お前が、王の慈悲を見せるのは、まだ早い。余が死ぬ前から、王権を使うつもりか?」と叱られ、「お許し下さい、陛下」と謝る。しかし、ヘンリー8世の真意は、叱ることではなかった。すぐに「人払いを」と命じる。いつもは、常に在席を許される伯爵も、出て行かせる。伯爵は、「御意のままに、陛下」とにこやかに言った後、トムを睨みつける(1枚目の写真)。2人だけになると、ヘンリー8世は、「余が死んだら、英国の民は、乞食に至るまで 余の事を覚えていると思うか?」と尋ねる。「皆… ずっと覚えていることでしょう」。「余は、苛酷な王であった。容赦などしなかった。お前は、父の悪しき部分は忘れ、良き部分のみ覚えておいて欲しい」。そして、一番大切な話。「ハートフォードが摂政となる。ハートフォードは権謀家だ。奴は、わが国の尻にできた『できもの』だ」。この言葉には、トムだけでなく、言った本人も笑う。「残念だが… お前は、まだ幼い。それが法律だ。摂政なしに、統治する事はできぬ。どうせ、悪魔を与えるなら、知った奴の方が良いであろう。だが、忘れるでない。奴も、お前なしでは 統治できんのだ」(2・3枚目の写真)。原作では、何度も書くが、ヘンリー8世はすぐに崩御するので、このような伝言など残さない。伯爵に対して使われる「悪魔」という表現は、これから始まる伯爵の「悪魔ぶり」にぴったりの言葉。歴史上のハートフォード伯爵は、原作のような好々爺ではなく権謀家なので〔16世紀のイングランドの平均寿命は35歳なので、この時点で41歳だった伯爵は老人と言ってもよい〕、ヘンリー8世の警告はぴったりだ。
  
  
  

王子は、裁判官の前に連れて行かれる。「坊主、名前は?」。「エドワード・チューダー」(1枚目の写真)。裁判官は、名前を書類に書き始め、それが皇太子の名前だと気付く。「本当の名前は? どこから来た? どこに住んでおる?」。「ウェストミンスター宮殿」。「左様な 厚かましい態度は、ためにならぬぞ」。「私は皇太子である。父上は…」。ここで、マイルズが入って来る。そして、「父親の、マイルズ・ヘンドンです」と後を続ける。「お許しを願って、付き添いたいと思います」。「お前が、父親なのか?」。「はい。どうか、寛大なご処置を」。「お前が、盗むよう そそのかしたのか?」。ここで、王子が口を出す。「私は、豚など盗んでおらぬ。なぜ、皇太子が豚を盗むのだ?」。マイルズは、笑って発言を止め、「お許し下さい閣下。この子は…」と言って、王子からは見えないよう、頭のところで指をくるくる回す〔くるくるパーのこと〕。「かもしれんが、豚を盗んだ以上、罰せられる。豚の値段は?」。訊かれた持ち主のおばさんは、「2シリング6ペンスです」と答える。「結構。簡単だ。1シリング以上の盗みなら、死刑」(2枚目の写真)。そう言うと、すぐに、「判決…」と言い始める。おばさんは、それを聞いて仰天し、「待って、そんな! こんな小さな子を」と言い、冷血裁判官は、「今さら何を。わしの食事が冷めてしまう」と発言する。王子は、「食事だと? これが裁判か? こんなことが、王の名のもとに?」と呆れる。おばさんは、「値段はもっと低く… 1シリング以下です。考えてみれば… あれは、ひどい豚でした」と王子を助けようとする。「よろしい。国王陛下の名において鞭打ち12回とする」。王子は、「鞭で打たれるのか?」とマイルズに訊く(3枚目の写真)。マイルズは、「助けてあげるから」と小声で囁く。原作では、もっと後になり、王子ではなく国王が鞭で打たれそうになる。その際には、神聖な国王の体に鞭で当てられたことは過去に一度しかないと書かれている〔1174年のヘンリー2世〕。しかし、映画ではまだ皇太子のままなので、鞭打たれることがどのくらいの恥なのかは分からない。なお、子豚の盗難だけは、原作にもあるエピソード。そこでは、子豚の最初の値段は3シリング8ペンス、13ペンス(1シリング1ペンス)以上の盗みが死刑で、女性は子豚を8ペンスに値下げする。そして、裁判官は、こんな冷血漢ではなく、王子を救うよう子豚の値下げを誘導する。だから、鞭打ちの刑もない。
  
  
  

裁判に書記として出ていた官吏は、裁判官が去ると、おばさんに寄って行き、豚を値切ろうとする。「この泥棒! あたしの豚を1シリングで?」。「じゃあ、閣下を呼び戻すから、嘘だったと言うんだな」。そして、1シリングを渡す(1枚目の写真、矢印は1シリング貨)。マイルズはそれをバッチリ聞いている。官吏が、王子を鞭打とうと、無理矢理引きずっていると、マイルズが、「友よ。お願いだ。子供は見逃がしてやれ。この件は、全くの誤解なんだ。鞭で打つのは、あんたなんだろ? やめても、構わんじゃないか」と声をかける。「一存では決められん。それが、法だ」。「あんたこそ、ツムクンナウデイだろ」(2枚目の写真)。「何だと?」。「ツムクンナウデイ。事後犯に対する法。不当な安値で入手しようとする行為。重犯罪だ。ツムクンナウデイの判決は、例外なく、吊るし首か、砕骨か、四つ裂きだ」。「まさか」。「公共の利益のため、減刑はない」。「子供は釈放する」。「安全のためには、豚の件を清算しないと。あの女性には?」。「倍額、払ってやる」。「だめだ。もっと」。「3倍?」。「10倍だな。そして 唱えろ… 『ハモン・デ・チェリソ』と」(3枚目の写真)。この後、王子は「そちのラテン語は、ひどいな」と言う。ということは、「事後犯に対する法〔the law crime after the fact〕」の部分のラテン語がツムクンナウデイということになる。原作では、マイルズが王子を禁固刑から救うため、同じように官吏を脅すが、その時に使う法律名は、「Non compos mentis lex talionis sic transit gloria mundi」と長い。これは、3つの言葉を並べたもの。最初の“Non compos mentis”は、「道理をわきまえない」という意味。2つ目の“lex talionis”は、「報復の法律」という意味。最後の“sic transit gloria mundi (STGM)”は、「かくの如く世界の栄光は過ぎ去りぬ」という意味。片仮名標記すれば、「ノン・コンポス・メンティス・レクス・タリオニス・スィク・トランスィト・グロリア・ムンディ」となり、「ツムクンナウデイ」とは、ほど遠い。マイルズは、王子から、「『ハモン・デ・チェリソ』って何だ?」と訊かれ、「スペイン語で 『ピリッとした豚肉』です」と答える。これは、「jamón de chorizo(スパイシーなハム)」のことだろう。原作には、この部分はない。
  
  
  

ヘンリー8世との単独会見の後、トムが呼ばれて伯爵の部屋に行くと、伯爵は、トムが入って来ても、イスに座り、机に足を乗せたままの生意気な格好で、モモを食べている(1枚目の写真)。そして、「言われただろ?」と、敬語なしに訊く。「何を?」。「言ってやろう。わしが摂政だ。何が言いたいか、分かるか?」。「あなたがいないと、統治できない」。「違う」。「お前には、統治などさせん。これからは、すべてわしが言う通りにしろ。何事もだ」。伯爵は、ナイフでモモを突き刺す。「さもなくば、正体を暴露してやる。お前の首は、城壁の槍を飾る事になるぞ。分かったか?」(2枚目の写真)。トムが、「素性が分かったら、ほんとの王子を探したら?」と訊くと、「なぜ?」と笑う。これで、伯爵は極悪人になった。トムが偽者だと知っていて王権を私物化するのは、これ以上ない最悪の大逆罪だ。歴史上、ハートフォード伯爵は、ヘンリー8世が崩御すると、自らをサマセット公爵に叙せさせ、9歳の王子を傀儡化するが、少なくとも、それは権力の濫用に過ぎない。偽者を王に仕立ててロボット化するのとはレベルが違う。ここまでの悪者にするのは、行き過ぎのような気がする。伯爵が去った後、トムは、侍従に「馬車の用意を」と命じるが、伯爵により、いかなる無許可の外出も禁じる命令が出されていた〔まだ摂政になったわけではないので、伯父とはいえ、一介の伯爵に皇太子の行動を制限する権利はないはず〕。一方の王子、池の端で休んでいると、マイルズが楽器を弾きながら歌っている。王子はこっそり、その姿を見ていたが(3枚目の写真)、気配を悟ったマイルズは、歌詞を、「私は泥が… 大好き…」に変え、池の泥を王子に向かって投げる。その後、泥んこ合戦になるが、王子にはありそうもない挿話だ。
  
  
  

トムは、ヘンリー8世に直訴しようと、部屋に向かう。侍従は、「国王陛下は、お休みになっておられます」と止めるが、トムは、「もう我慢できぬ。ここは宮廷でなく牢獄だ」と言い、部屋を訪れる。トムは、「人払いを」と、全員を外に出す。ヘンリー8世は、ベッドに寝ていた(1枚目の写真)。トムは、近くにと呼ばれ、ベッドに腰をかける。トムが話しかけようとしても、ヘンリー8世は、死の前の衰弱のため、自分の世界に生きている。それでも、トムは、「陛下、告白することが。それが、最悪の、もう、とんでもない話でして」と言い始める(2枚目の写真)。それを聞いても、ヘンリー8世は、「わが子よ。告白すべきは、余の方ぞ」と耳を貸さない。そして、「余は疲れた」と漏らす。トムは、「息子としての務めは存じております。ハートフォード卿が摂政だということも。でも、私は、あなたの息子ではなく。彼も、それを知っております」と告発する。しかし、最後まで話し終えた時、ヘンリー8世は死んでいた。トムは手に触って確かめると(3枚目の写真、矢印)、「助けて! 誰か! 王様が、亡くなられた!」と叫ぶ。1547年1月28日、55歳だった。
  
  
  

ベッドに大の字に横たわるヘンリー8世の遺体の前で 肩膝を付いて座っていたトムに、侍従が声をかける。「摂政殿下が、陛下に即刻お目にかかりたいと申しておられます」。即位はまだだが、呼称が殿下〔Your Highness〕から陛下〔Majesty〕に変わっている〔即位はヘンリー8世の死と同日のため、これは正しい/戴冠式は2月20日映画では、もう摂政〔Lord Protector〕と呼ばれているが、歴史上、ハートフォード伯爵は摂政になるのは、エドワード6世の即位後の2月10日なので、間違い。トムは、「摂政」の部屋に案内される。伯爵は侍従のいる前では丁寧にお辞儀し、ドアを閉めると急に態度が変わる。「外出だと?」(1枚目の写真)「家族と会うためだな? 寂しいか? お前は ここで、王様のように暮らしておるじゃないか、家族だって貧困から解放して快適にしてやれる。どこに、住んどるんだ?」。トムは、「住所は、オッ…」と言い始めて止める。「住所を教えれば、ちゃんと養ってやる」。「忘れてしまいました」。「何を心配しとる? お前は、どの途、芝居を続けざるを得んのだぞ」。トムは、トムなりに怒る。「国を統治することが、『芝居』なの?」(2枚目の写真)。王子でもない乞食から言われたこの真実の言葉に、伯爵は(恐らく)恥を感じ、「下がっていいぞ、陛下君」と去らせる。一方、ヘンドン邸に着いた2人。屋敷は手入れが悪く精彩がない。内部も荒れている。その時、笑い声が聞こえる。マイルズは王子を待たせておき、笑い声の方に向かう。暖炉のある大きな部屋では、男(マイルズの弟)が歌いながら火でマフィンを焼いている。そして、若い女性(マイルズが好きだったセーラ)に絡んでいる。そこにマイルズが入って行き、嬉しそうな声で、「セーラ」と呼びかける(3枚目の写真、矢印はマイルズ)。
  
  
  

弟は、「何と、長らく行方不明だった兄貴が、マフィンの時間に ご到着か。兄貴は死んだと思ってた」と言う。「私が死んだ、だと? 何故だ?」。セーラは 逃げるように部屋から出て行く。「予定よりずっと長く、行ったきりだった」。「確かに、修道院から出した手紙には、日付けを書かなかったかも。いつからだ?」。「5~6年だ」。「変じゃないか。まだ去年だぞ。私が父上に手紙を…」。ここで、マイルズは弟の陰謀に気付く。「お前が、捏造したんだな。父上は、サンチアゴで私が死んだという手紙を受け取られた」。「もっと悪い。まず、スペイン美人と結婚した… 黒い目のな。それから、死んだんだ」。マイルズは弟の襟をつかむと、「何が、お前を蝕んだのだ、弟よ」と尋ねる(1枚目の写真)。弟は、マイルズから離れると、マフィンを焼く棒をマイルズに向ける。「何が、俺を蝕んだか? 親爺の目付きさ。兄貴を見た後で、俺を見ると、喜びがさっと消える。兄貴が発った後も、目を輝かせるのは、兄貴の話題になった時だけ。親爺は、聞きたがってた… この憎い、下らぬ、見苦しい兄貴のマイルズのことを。二度と浮かばれんぞ、マイルズ・ヘンドン。長男で、一人だけ愛された領主の息子め」。この時、王子が2階から弟に飛びかかる(2枚目の写真、矢印)。今度は、マイルズが短剣を弟に向ける。そこに、物音に気付いた手下が「この騒ぎは、何ですか?」とやって来る(3枚目の写真)。手下は兵士に、「こやつを逮捕しろ。ガキもだ」と命令する。マイルズは、「私を逮捕だと? 悪党は こいつだ!」と反論するが、弟とグルの手下は、「サー・ヒュー、お怪我は?」と訊く。「サー・ヒュー? 長男は、私だぞ!! こいつは、私の爵位を詐称している!」と怒鳴るが、手下は、「お前は、この領地に侵入し、武器を所持し、領主を殺(あや)めようとした」と宣告し、逮捕・連行させる。
  
  
  

ヘンリー8世の棺を載せた馬車は、ホワイトホール宮殿の城門を出て、埋葬されるウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に向かう(1枚目の写真)。棺の馬車のすぐ後ろを歩くのがトム、その後ろに続くのがハートフォード伯爵(2枚目の写真)。行列を見送る多くの市民の中にトムの母もいた。トムが、群集の中に母の顔を見つけ、ハッとして顔を背ける。その仕草を見て、母は、直感的に、それが王子ではなくトムだと思う。そして、「トム?」と声をかける。母は後を追い、何度も「トム」と呼びかける。「トマス、お前なの?」。母の呼びかけは、警護の兵士によって阻止される(3枚目の写真、矢印は母)。原作では、これと似た場面が、葬儀ではなく、戴冠式に向かうトムに対して起きる。それまで、王様の権限に酔っていたトムは、母の声を聞き、「恥ずしさがトムの心に満ちてきて、彼の得意さを燃え尽くして灰にしてしまい、盗んだ王者の尊厳をしぼませてしまった」と書かれている。映画でも、後の戴冠式の際、この時の母の声が幻聴として聞こえる。
  
  
  

マイルズと王子は、荷馬車に乗せられて牢獄に向かう(1枚目の写真)。トムの方は、葬儀が終わり、「自動サインマシン」になっている。摂政が渡す王の命令に文句を言わずにサインをするのがトムの役目だ(2枚目の写真)。そこに、新しい立派な机が運ばれてくる。そして、トムには新しい勅令の紙が渡される。それを一目見たトムは、「できぬ」と反抗する。担当官が「陛下?」と訊く。「できぬ。余は、署名しない」。「しかし… 陛下…」。「増税か? 民が、苦しむだけだ」。それを訊いた摂政は、そこにいた4人に「席を外せ」と命じるが、トムは、「だめだ。残れ」と命じる。当然、国王の命令の方が優先する。摂政は、「人払いして脅す」ことができなくなったので、下手に出る。「陛下、この税は必要です。承認も受けております」。「余は知らぬ。誰が承認を?」。担当官は、「それは… つまり… その… 法廷が…」と、しどろもどろ。トムは、さらに、「この新しい机は、そなたの 所望か?」と摂政を追及する。「摂政として、私が求めました」。「ならぬ。王として、余は要求する。この税の使途の説明を、最後の1ペニーまで」(3枚目の写真)。原作には全くないシーン。
  
  
  

王子は、マイルズと一生に汚い牢に連れて行かれる(1枚目の写真、矢印は衛兵に突き飛ばされた王子)。隣には、耳を削がれた犯罪者やいるし、ネズミもウヨウヨいて、王子を怖がらせる。そんな王子に、優しく微笑みかけてくれた若い女性がいる。王子も微笑むと、彼女の頬には“S”という烙印が押されている。王子には、その意味は分からないが、女性が受けた残酷な処罰に怖れ慄く。翌日、1人の太った僧が 牢の慰問に訪れる。それは、セーラから連絡を受け、マイルズを助けようと身分を隠して訪れたラビット神父だった。神父は、「今の名は、マシュー修道士。修道院にとって、最悪の日々なのだ」と現状を話した上で、「計画が… そなたを、明日の夜に逃がす…」と打ち明ける(2枚目の写真)。マイルズは、その言葉に喜び、「逃がす? あの子も」と頼む。「だめだ、危険すぎる」。「まず、あの子を助けてやって下さい。私しか、守ってやれる者がいないから」。王子は、優しい女性の横に座って話しかける。「ジェイン、その紙に何か書くのか?」。「いいえ、まさか」。「なら、私に もらえぬか?」。「なら、約束してちょうだい。自分自身に忠実であり、自分が誰で 何をすべきか偽らないって」。それは、王子が考えていたことに、ぴったりの言葉だった。「それなら簡単だ。約束する」(3枚目の写真、矢印はジェインからもらった紙とペン)。その時、牢の格子扉が開き、衛兵が入って来てジェインを連れて行こうとする。ジェイン:「さようなら」。王子:「さようなら、ジェイン」。王子は、ジェインは釈放されたと思っている。
  
  
  

宮殿では、トムに用意された戴冠式用の服がフィットするかどうか確かめている。トムは、母と会ってから、全く元気がない。人形のように、言うがままにされている。そこに、摂政が入って来て、全員を退去させる。摂政は、誰もいなくなると、「準備は完了… もう王様か」と、嫌味を言う(1枚目の写真)。「礼服に王冠。王冠が、こんなにぴったり合うとはな」。トムは、「僕は、あなたの操り人形じゃない」と、精一杯の抵抗を見せる。しかし、摂政は、「ところで、君の母親や妹たちは、みな元気だ。ナンとベットだろ」と言う。これで、摂政が家族を突き止めたことが分かる。「もし、傷付けたら…」。「なぜ、わしが そんな事を? 実際、お金まで渡してやった」。こうして、前回とは状況が違うことをトムに納得させると、「では、信頼に応えて、署名 戴けますかな?」と迫り、前回トムがサインを拒否した新税の勅令を渡す。トムは、家族に何をされるか分からないので、サインせざるを得ない(2枚目の写真、矢印はインク壺)。この映画で上手いのは、似たようなシーンは常に連続させる手法。ここでも、画面はすぐに切り替わり、王子が、ジェインからもらった紙に何事かを書いている(3枚目の写真、矢印はペン)。
  
  
  

王子は、書き終わると、隣のマイルズに、「ジェインは釈放されると思うが、そちの考えは? よき女性だ。優しい顔立ちだったであろう?」と訊く。事実を知っているマイルズは、「何? 釈放される?」と呆れる。さっきから、外が騒がしい。王子が窓まで行き、外を覗くと、映像はないが、ジェインが火刑に処せられている。王子は、「あぁ神よ… ジェイン…」と悲嘆にくれる(1枚目の写真)。そして、マイルズに、「なぜだ?」と尋ねる。王子は、囚人達に向かって、「法は、ジェインに非情であった… そち等(ら)にも。かくなる法は廃止する。約束する。英国では、もう、恥ずべきことは起こらぬ」と宣言する。魔女の火炙りは中世のものだと思われがちだが、イングランドでは、ヘンリー8世が「魔女法〔Witchcraft Act〕」(1542年)を制定する。これは、1563年、1604年、1735年出された同名法の先駆となるもので、火刑を含む最も厳しい内容の法律だった。そして、エドワード6世は即位すると、すぐに廃止する。だから、この場面は、史実とも合致している。王子は、さらに、「私は皇太子で、父はヘンリー王だ。ウェストミンスターに戻ったら、よく説明して、新たな布告を…」と言うが、他の囚人から、「ツンボだぜ」「死人に耳が?」と嘲られる。「何のことだ?」。「もう、聞こえねぇのさ。ヘンリー王は死んだ。有難くもな。次は、エドワードって少年王だ。もうすぐ戴冠式だとよ」(2枚目の写真)。父王の死を、こんな形で知らされ、王子の受けたショックは大きい。「父上が亡くなった? 王が亡くなった…」と悲しく自問する。そして、泣きながらマイルズの横に戻ると、「マイルズ、父上が亡くなったのなら、私が王だ。我等は、ここを出て、すぐロンドンに向かわねば…」と話しかけるが、自分のことで精一杯のマイルズには、気が狂った子に付き合っている余裕はない。そこで、「もう酔狂では済まないのだ、友よ」と断る。「だが、ロンドンに行かねば。間違った少年が 戴冠する前に」(3枚目の写真)。「頼むから、呪われた舌を黙らせて頂けるかな?」。王子は、黙るしかない。原作にも、魔女の火刑を王が悲しむ場面、及び、先王の死を聞かされる場面がある。状況は少し異なるが、基本的には同じ。
  
  
  

そこに衛兵が入って来て、マイルズと王子を乱暴に連れ出す。しかし、乱暴なのは牢番に対する芝居で、外に連れて行かれると、そこにはラビット神父とセーラが待っていた。神父たちは衛兵を買収して2人を連れて来させたのだ。神父は、「万一の際は、この手紙で安全に通り抜けられる」と、手紙を渡す(1枚目の写真、矢印は王子が書いた巻き紙)。セーラは、マイルズの弟と無理矢理ながらも結婚したことを詫びる。神父は、「さあ、急いで。そなたの弟君が自分の妻と、最良の馬の失踪に気付いたら大変だ」と言い、「その子も一緒に?」と訊く。マイルズは、王子様ごっこはやめようと条件をつけるが、王は、「だが、私にはできぬ。私は、英国国王なのだ。許せ」ときっぱりと断る(2枚目の写真)。そして、神父に巻き紙を押しつけると、セーラの白馬に跨がりロンドンに向かう。マイルズは、自らの心の平安のため、気違いの子供を見捨てるわけにはいかないと、セーラと2人でロンドンに向かおうと決める。王に渡された紙をちらと見た神父は、「あの乞食の子が、これを書いたのかね?」と、去ろうとするマイルズに尋ねる。そして、神父は、読み上げる。「私は、エドワード・チューダー。皇太子である。ヘンリー8世王の息子であり、1535年10月11日、イェルバー街にて誕生した」(3枚目の写真、矢印は王の書いた紙)〔この紙を書いたのは、父王が崩御したと知る前〕。「あの子が書いたんですよ」。「ラテン語で?」。「ラテン語?」。「完璧なラテン語だ。それに、完璧なフランス語と完璧なギリシャ語で」。マイルズは乞食が王様だったと知る。この部分は、原作と全く違っている。神父のような救済者は現われず、マイルズは曝(さら)し台に架けられる。それに王が抗議したため、「生意気な乞食小僧を仕込む」ため、鞭を6発喰らわされそうになる。マイルズは代わりに12発の鞭を喰らい、感動した王はマイルズを「サー」から「伯爵」に格上げする。刑が終わると2人は追放され、王の希望でロンドンに向かうが、その時点でも、マイルズは王が乞食だと思っている。
  
  
  

戴冠式の日。侍従は、「陛下。王様がお隠れになって日も浅いのですが、今日は、戴冠式のお目出度き日。お願いです、今日は、悲しみを お忘れ下さい」と頼む。トムがあまりに無感情な顔をしていたからだ。「私は、どうすれば?」。「笑顔です」。城門を出た馬車は、戴冠式の行われるウェストミンスター寺院に向かう。馬車にはトムと摂政が乗っている。摂政は、「手をお振り下さい、陛下」と促す。トムは仕方なく手を上げるが(1枚目の写真、矢印)、笑顔は浮かばない。そこに、真の王が到着し、群集の中から、「やめよ! 待て!」と叫ぶ(2枚目の写真、矢印)。しかし、その声はトムには届かず、逆に、見張っていたトムの父につかまってしまう(3枚目の写真)。王は、物陰に連れていかれ、ナイフで刺し殺されかけるが、「トムの危機だ」とばかりにかけつけたダニエルたちによって救われる(4枚目の写真、矢印はナイフ)。
  
  
  
  

トムは、ウェストミンスター寺院に入る(1枚目の写真、矢印)〔このファサードはウェストミンスター寺院ではなく、パリのノートル=ダム大聖堂を真似たもの。内部のファン・ヴォールトの天井は、恐らくピーターバラ大聖堂からの合成映像〕。式は既に始まっている。カンタベリー大主教が、「教皇聖下。世界の諸王国の上に立たれ、御心のままに導いて来られた 我らつましき僕(しもべ)に、どうか 慈愛の眼差しを。そして、心からの祝福を、エドワード・チューダーに。彼が、英知と慈悲と神の御恵みで、あなた様の代理として国を治めん事を」と唱え、トムはその前に跪く(2枚目の写真)。立ち上がったトムの耳に、先日葬儀の行列の際に母が呼びかけた言葉が幻聴のように響く。そして、気を失って倒れる。摂政がトムを抱え、王座に座らせる。そして、「何を、企んどるか知らんが、家族のためにならんぞ」と、小声で警告する。教会の外では、トムの父から逃げてきた王の、道を挟んだ向かい側にマイルズが現われ、これまでの失礼を心から詫びる(3枚目の写真)。王は、教会の中に入りたいと仕草で示し、マイルズは、衛兵の注意を引こうと大声を上げる。衛兵が駆けつけ、その隙に王は教会の扉目がけて走る(4枚目の写真、青の矢印はエドワード、黄色の矢印はマイルズ)。
  
  
  
  

大主教は、王冠を手に持ち、「いざ 戴冠を。偉大なる王権の象徴として」と言い、トムの頭に被せようとする。トムは、「だめです」と立ち上がり、「それは、できません」と断る(1枚目の写真)。「私は、エドワード・チューダーではない」。そして、摂政には、「私を吊せますか? 母や妹たちにも手は出せないでしょう」と言う。摂政は、「陛下のご病気が興奮で再発されたのです。大主教猊下。どうか、粛々と式を続けられますよう」と誤魔化そうとする。大主教:「だが、きわめて異例な事ですぞ」。摂政:「お続けなさい」。大主教が続けようとすると、今度は、教会内に潜り込んだ真の王が、「やめよ!!」と大声で叫ぶ。そして、扉のところに立っていた人をかけわけて姿を見せる(2枚目の写真)。そして、王座に向かって走りながら、「やめよ! 彼は、王ではない」と命じる。摂政は、「何たる暴挙。阻止せよ」と命じ、真の王は、「余は、エドワード・チューダーである」と宣言する。摂政:「その乞食を 逮捕しろ!」。ここで、トムが、「指一本 触れてはなりません。そのお方こそ、本当の国王陛下です」と命じる。摂政が、「大主教猊下、お続けなさい…」と言いかけると、トムは、「彼は、私が偽者だと知っています。だから、私に戴冠して欲しいのです。そうすれば、私を後ろで操れるからです」と摂政の陰謀を暴露する。摂政は、「何たる戯言(たわごと)! わしは摂政であるぞ」と言い、真の王を指差し、「その少年を逮捕せよ!」と言い、今度はトムを見て、「二人とも逮捕せよ!」と言う。こんなバカげた命令に従う者は誰もいない。トムは、さらに、「彼は言いました。『従わねば、私の首は城壁の槍を飾る』と」(3枚目の写真)「それに、私の家族も人質に…」。真の王も、「父上は、そなたを信用しなかった」と言い、それに対し、摂政は、「それなら、あなたの父君は、わしを摂政にしなければよかったのだ!」と思わず言ってしまう。それを聞いた大主教は、「という事は、このお方こそ、ヘンリー王のお子である」と認め、エドワードは、「その者〔摂政〕を逮捕せよ」と命じる(4枚目の写真)。こうして、極悪人は逮捕された。原作では、ハートフォード伯爵が、「王ではないというトム」と「王だと名乗る乞食少年」のどちらが本当の王かを判断しようとする。その決め手になるのが、居所のしれなかった玉璽の場所。トムの助けを借りて、エドワードが言い当て、真の王であることを証明する。
  
  
  
  

檀に上がったエドワードは、トムに、「許せ、トム。長く待たせたな」と声をかける。「もったいない。元のご身分にお戻り下さい」。大主教は、エドワードの頭に王冠を被せる(1枚目の写真)。エドワード〔ボロの上から、赤のケ-プと真っ白な毛皮の被り物をまとっただけ〕は教会の外に現れ、凱旋用の馬車に乗る。トム〔ケープと被り物を脱いだだけ〕がそれに続く。マイルズは、その前に現われ、深々とお辞儀をする(2枚目の写真、矢印)。王子は、マイルズを馬車に乗せ、儀仗兵と一緒に立たせる(3枚目の写真)。原作では、馬車で出かける場面は書かれていない。マイルズは、ロンドンに入り、エドワードとバラバラになってしまう。そして、王命でマイルズを捜していたウィピング・ボーイにより宮殿に連れて行かれ、そこで、王が牢で書いた紙が見つかり、王の前まで連れて行かれ、爵位が与えられた経緯と特権が紹介される。
  
  
  

王の裁きの場。トムの父は、トムの請願で絞首刑はまぬがれ、国外追放だけで許される。マイルズの弟も国外追放される(1枚目の写真)。妻のセーラは、「婚姻は強制された故、自身で決めるがよい」と言われ、マイルズとキスを交わす。そして、次がマイルズ。「マイルズ・ヘンドン。王位を救った功績に対し、そなたには…」。マイルズは、「すでに頂いております」と言い、王座のある檀に座る。侍従が、「国王の御前では、座れないのですぞ」と注意すると、「いやいや、私は座れるのです」と言う(2枚目の写真)。王も、「そうなのだ。余が、特権として認めたものだ」。「ですが、そのような先例は…」。「ならば、先例とすれば よいではないか。さて、名称は…」。ここで、王はマイルズの顔を見て、子豚の時のスペイン語を持ち出す。「ハモン・デ・チェリソ」(3枚目の写真)。この映画は、よくまとまっているが、最後の冗談めいた名称は軽薄だし、マイルズも、相手が国王なのに馴れ馴れしすぎて不自然だ。
  
  
  

エンディングは、①王子にリンゴをくれたおばさんに、侍従が、リンゴ代、プラス、大量の利息を渡す場面、②トムの母、祖母、2人の妹が立派な服装で宮殿に呼ばれる場面(1枚目の写真)、③子豚を値下げして命を救ってくれた太ったおばさんに3匹の豚が贈られる場面(2枚目の写真)、④王とトムが、かつての乞食の姿をして剣術ごっこで遊ぶ場面(3番目の写真、左が王、右がトム)。このラストも、映画の品格を落としている。原作では、トムは、王の被保護者〔King's Ward〕として地位を保証されるが、一緒に遊ぶようなことはない。
  
  
  

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